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航空機は渦で飛ぶ

見たこと、思ったこと、気になったこと。

電子書籍、挫折。

少し前に、1000冊ほどあった漫画や小説を100冊ほどまで絞った。
で、電子書籍に移行しようとしたのだけれど、挫折シマシタ。

 

ここ数か月、紙の本は購入禁止令を自分に出していた。
というか、電子書籍に移行したことにしていた。
これがとてもつらかった。

まず、電子書籍の購入ボタンが押せない。
本屋さんなら、ホクホクでひょいひょいレジに持っていくのに。
さらに電子書籍は、(やっとの思いで)買ってもうれしくない。
むしろなんか……罪悪感?
しかも、買った本も開かない。
どんどん、本を読まなくなった。

これは、とてもマズイ。私にとっては由々しき事態。
なぜかと言えば、本を読めなくなると、落ち込んだまま帰ってこられなくなって干からびるから。現実から物語の中に逃避してエネルギーをチャージしないと、私はうまく機能しない。学生の頃に一回干からびて痛い目を見ているので、エネルギーが底をつく前にどうにかしないといけない。

ということで、紙の本を買った。
とっっってもうれしい。
そして、また読むようになって干からびずに済んだ。満タンつやつや。

紙と電子、何が違うのかな?
読みやすさは(画面フラットだから)電子のほうがいいはずなのに。
物語を開くまでに時間がかかるのがいけないのかな。閉じるのにも7秒かかるし。
それとも、ちょっと小さいから?
なんにせよ、電子書籍はめんどくさいなっていう意識は、確かにあるかも。
あと、なぜか集中できない。
電化製品をいじるのがそんなに好きではないのも関係あるかな。
多分、原因は一つじゃない。
意識に上るもの、そうでないもの、ちょっとした不快感、めんどくささ、
小さなストレスが積み重なって、電子書籍から遠ざかってしまったのだと思う。

こういう、なぜかどうしても苦手なものがほかにもいくつかある。
経験上、これはもう努力ではどうにもならない。
私が死ぬまで紙の本が今のまま存在していてくれることを祈るしかない。





不思議に思っていること。

湿布ってどうやって聞いているのだろうか。
肌に貼ると何かがしみこむの?
人間の肌ってそんな髪みたいな性質だっけ?
しかもそれが都合よく痛いところにつながっている神経に到達するの?
局所麻酔ってことなの……?

スポーツの勝敗って、なんの価値があるの?
「優勝」の価値が分からない。
絶対に存在するじゃない、1位。
ある基準に達するかどうかを計るなら分かるけど、
相対評価で順位をつけて喜ぶのってよくわからない。
ついでに、
応援って、何にどうやって作用するもの……?


親に、「偶には高校の友達にでも会いに行って来たら?」と言われた。
それは、何をしに行くのだろう。
会って、何をするの……?

川一本はさんだ距離しか離れていないのに、住人の性質に差が出るの?
県民性って……?

好きなひとって、好きなタイプって、なんだろう。
人間は人間だよ。
もしかして、私には見えない色分けがあるの……?

会話がスムーズにいかないのは、私だけ?
私の、思考映像⇔言葉のコンパイラポンコツなのは認めるけれど、
それを差し引いても、なんであんなにスルスルを会話が進むのか分からない。
ホントに意思の疎通を図れてる?
お互いに自己完結しているようにしか見えないんだけど……?

そのうち、第二弾あるかも。

仕事は小事

「忙しいんだから休むなよ」という雰囲気を感じるほど取りたくなる有休。
露骨に嫌な顔をされたけれどねじ込んだ。
私がいないと困るのではなく、「俺は休みたくても休めないのに、ずるい」という嫌な顔である。私の知ったことではない。

企業って変なところだ。
いい大人が、小学生みたいなことをしているし、
役職がついている人はやたらエラそう。普通のおじさんなのに。
そのじじさま方の形成する「常識」では、
申請なしで会社が許す最大時間の残業は当たり前。
偉い人たちも残業しているのだから、当然だろう。
若いんだから、がんばれ。
毎日午前様じゃないだけ、まだまだ。
定時退社なんて、何か予定があるの?

何でそんなに必死で仕事をしなければならないのだろうか。
仕事ってそんなに大事だろうか。
自分の体を、健康を、犠牲にしてまでするようなことだろうか。
納期に遅れたからなんだというのだろう。
毎日残業しても終わらないような期日を決めてくるほうがおかしいのでは?
そして、納期に遅れて困るのは、無理な期日を決めてきた人達なのだから、
実動部隊がそこまで気にかけてやる必要は無いのでは?
(ある程度は必要でも。)


そもそも、
「給料分働け」という言葉を聞くけれど、
「時間分払え」と返されたらどうするのだろう。
時間の積み重ねが寿命なのだから、時間の対価は命の対価だ。
一時間数千円では、(まして数百円では、)到底釣り合わない。
幾らお金を払っても、寿命は延びない。
そして、相対的に時間の価値は選択の余地のある若い頃ほど高い。
そう考えると、「若いのだから残業しろ」はひどい。
体力の話をしているのは分かっているが、
この言葉を聞いたとき、すごく嫌な気分だった。

お金が欲しくて、好きで残業する人もいるらしいが、
逆に、給料は半分でいいから毎日午前中で返してほしい人間だっている。

加えて、帰属意識というのがわからない。
誰もが自分の職場が大好きで、すべてを捧げて仕事をしているのが前提なんて、
気持ち悪い。

……会社員に向いていない自覚は、ある。さすがに。


人間はAIに勝てない。

当たり前だけどね。
ディープラーニングが出てきてからはほんとに。

将棋や囲碁でAI対人間でやっているけれど、人が勝てるはずがない。
AIは休みなく対局を続け、過去の棋譜を再現し続ける。
人間は生き物で、寝なくちゃいけないし、おなかも空く。
人間の脳は、将棋を指すためだけの脳ではないのだ。
こなした数がものを言う類のものでは人間はAIに勝てないし、勝つ必要もない。
人間の代わりに人間には不可能なことをやらせるためのコンピュータなのだから。
人間が一生をかけても終わらないナビエ・ストークス方程式の計算を力技で解かせるためにスーパコンピュータは作られたのだから。

電脳戦は、義足の人とそうでない人を一緒にして短距離走をさせているようなものなのだ。普通に考えて、義足でない人に勝ち目はない。
義足は、目的に合わせて最適化されているのだから当然だ。
どうしても一緒にやらせたければ、義足の性能を生身の人間の足の性能に合わせて制限する必要がある。何を基準にするのかを考えても、現実的ではない。
義足の人に対する差別ではなく、条件を合わせるための区別である。
柔道やボクシングが体重で階級分けされているのと同じだ。

ついでに、AIがいくら進化しても、AIが人類を滅ぼすことはないだろうと私は思う。
プログラミングなどをやってみたことのある人はわかると思うが、コンピュータは正確な指示をしないと動かない。
コンピュータを相手にしていると、「ちょっと間違えたんだよ!うまく読めよ!」と思うことも多い。
いくらディープラーニングがあっても、誰かが「最も効率的な方法で人類を滅ぼす」という目的をAIに提示しない限り、AIはそんなことは考えない。
人間を滅ぼすのは、多分人間だ。

US-2

海上自衛隊飛行艇。US-2.  

 

大分前に、キャスター(ジャーナリスト?)と盲目の二人の男性が、
ヨットで太平洋を横断しようとして遭難してしまうということがあった。
クジラにぶつかられたらしい。
この時、救助に向かって話題になった機体がU-2という飛行艇
この事故の特集みたいな番組を眺めていたら、U-2の修飾語として

最新

という言葉が使われていた。
さすがテレビ、と思ってしまった。
嘘ではない。確かに一番新しい。US-2の後、飛行艇作ってないから。
間違ってはないけど、ニュアンスとしていかがなものかと思う。

最新というと、ここ2,3年で作られたような印象を受けるが、
US-2は10年ほど前の機体だ。
US-1を改修したものなので、構造設計はUS-1から2,30年前のものになるハズ。
既存の機体を改修して新しい飛行機を作る場合、元の機体をよく理解している人に意見を求める必要がある。US-2はUS-1から長い時間が経っていたため、すでに退職していたUS-1の技術者を拝み倒して協力を仰ぎ、作ったと聞いた。

とはいえ、自衛隊機なんてそう頻繁に新機種を作るものではないし、
とてもいい飛行機なのは確か。そして、珍しい。
何が珍しいかというと、今日日、飛行艇というのも少ないけれど、
US-2はSTOL機と呼ばれる種類の飛行機なのだ。
SLOW TAKE OFF/LANDING.  低速離着陸機である。
欲しがっている国もあるらしいが、兵器に分類されるので輸出していない。
海上自衛隊だけが運用している。


似たような名前でVTOL機というのもあるが、
こちらはVERTICAL TAKE OFF/LANDING.  垂直離着陸機。ハリヤーとオスプレイだ。

US-2は救助活動のための飛行艇なので、低速で飛行ができるのは優れた特徴なのだが、
この低速というのが飛行機にとっては曲者で、低速で安定して飛ぶことだけでも難しいが、低速になるとバックサイド現象というものが起こる。

飛行中の航空機には、様々な抵抗が発生している。
機体の形によるもの、推力とセットで生まれるもの、等々。
その中に、有害抵抗と誘導抵抗というものがある。
どちらも飛行機が動くことで生まれるが、有害抵抗は速度が上がるにつれ増えるのに対して、誘導抵抗は極端な低速で大きくなる。
誘導抗力が小さくなっていくと、入れ替わるように有害抗力が大きくなり、前期抵抗はを縦軸、速度を横軸にとるとJを右に45度ほど回転させたような形のグラフが書ける。
(画像を載せろよってね。めんどくさいんです。すみません。)
誘導抵抗>有害抵抗の領域をバックサイド、
誘導抵抗<有害抵抗の領域をフロントサイドと呼ぶ。
普通はバックサイドの領域まで減速できず、フロントサイドの速度で着陸するので問題にならない。
しかし、US-2の着陸速度はバックサイドに入ってしまう。
抵抗の種類が入れ替わるのはいいのだが、問題はバックサイドではエレベータの効きが逆になるということだ。
つまり、バックサイドで操縦桿を押すと機体が浮き上がり、そこで高度を取ろうと慌てて操縦桿を引くと逆に降下してしまう。

飛行機は、操縦桿を押すことで頭が下がり、抵抗も下がるので加速する。
この時、フロントサイドでは、有害抵抗が速度に比例して増加するので水平維持パワーが不足して降下する。
しかしバックサイドでは、加速すると誘導抵抗が減少して水平維持パワーが余剰になるので浮き上がる。

このバックサイド現象、US-2の前身ではUS-1では発見されていなかった。
US-2は、エレベータと推力制御を組み合わせた制御装置を持っているので
普通に操縦すればOKだが、US-1はパイロットの勘で着水させていたらしい。
どこから突っ込んだらいいのかわからない。
とりあえず、

パイロットかっこいいな!!



花といえば

小さい頃、桜は白い花だと思っていた。
世間的には桃色かな?
でも、良く見るとソメイヨシノの花びらは白い。

背が伸びて、咲いてる花を近くで見られるようになるまでは、お風呂のお湯の色と同じ不思議だった。

 

桜は、丸く花をつける。海老団子に見えると父が言うから、私は桜を見ると海老が食べたくなる。あと、定番の桜餅。

こしあんの長命寺
もち米を使うものの方がが良く見かけるけど、あれは道明寺。

 

桜は特別騒がれる。

平安時代にはもう、単に花といえば桜のことだった。歌にも沢山詠まれてる。

でも、万葉集の頃は梅が主流。

桜のふわふわした印象とは対照的にしっかりした雰囲気で香りも良い。

 

桜や梅と同じように木に咲く花の木蓮。

白木蓮が人の手に見えてぎょっとしたことがある。

 

私には、花はすごくグロテスクなものに見える。

深い切り傷を指で押し広げて覗き込んだ時みたいな気分になる。

特に苦手なのが蓮。

花托は見られない。茎の断面も。

 

でも、梅と彼岸花と睡蓮と桜吹雪は嫌いじゃない。

 

日本では、結婚すると名前を変える。

日本では、結婚すると名前を変える。
多くは、女性が。
苗字の話ね。

結婚によって名前を変えることを嫌がる女性は日本では少数派である。
男性には聞いたことがないのでわからないけれど、どうなんだろう?

大分前に、国ごとの男女平等に関する評価か何かで、日本はあまり成績が良くなかった、というようなニュースを横目で見た。
その評価の理由の一つに、苗字の話が挙がっていた。
曰く、日本では結婚によって女性が名前を変えることが事実上強制されている。
これを聞いたとき、私は、それってそんなに非難されるようなことなのか、と一瞬反発を覚えた。よくある西洋的価値観の押しつけなのではないかと。

けれど、一瞬の動揺をやり過ごしてよく考えてみると、結婚したら苗字を変えなければならない、と小さい頃誰かに聞いたとき、私の感想は、「それはいやだな」だった。
苗字を変えるくらいどうということはない、と思っていたのは最近の私、しかも表層だけで、本当は今でも改名には抵抗があることにも気づいてしまった。

私の名前は所謂きらきらネームではない。
古今東西どこにでもある名前。古風な名前に分類されるけれど、アルファベットで綴れば海外にも同じ名前の人がいる。
加えて、母親が、結婚するずっと前から決めていた名前でもある。
私個人につけられた名前ではなく、私の母の長子の名前とも言える。
何が言いたいかというと、私にとって名前は、個人名だけでは不十分で、苗字も含めて初めて意味をもつものだということ。
(とはいえ、珍しい名前ではないので、同姓同名の別人もいる。)


苗字を変える、というのは名前が丸ごと変わってしまうのと変わらない。
名前なんて、と思うかもしれない。
けれど、自分を認識するために一番最初に必要なのは、名前ではないだろうか?
誰何されて答えるのは、自分の名前ではないだろうか?
ある日突然、自分の名前が全く違うものになったら、困惑しないだろうか?
親の旧姓でのフルネームを聞いて、違和感を覚えたことがないだろうか?
結婚前の親を別人のように思ったことはないだろうか?
私は、名前を変えるくらいなら、結婚なんかしない。
もともと結婚する気はなかったけれど、ますます決意が強固なものになった。

いつの間に、表層でだけとはいえ、名前を変えることを受け入れたのだろう?
と、考えて、ぞっとした。
そもそも初めに、結婚したら苗字が変わるのだ、と私に言った人(だれだか覚えてない)は、結婚したら私の名前が変わることを確定事項として話していた。私が女だから。
法律的には女性が変えなければならないわけではないのに。
そして、社会的に、男性側が苗字を変えるのは婿養子になるということで、田舎では特に、少し特殊な家だという目を向けられる。
多くの人が、結婚したら女性が改名するのが当たり前だと思っている。
そんな社会で、改名は仕方がないことなのだと摺込まれていったことに、自分では気づいていなかった。
そうした社会全体の雰囲気より、自覚のないまま考えを変えてしまっていた自分に寒気がした。

少し前、男女別姓という言葉をちらほら聞いた。
けれど、最近は聞かないね?
やっぱり、みんなあんまり気にしてないのかな……